エッセイ「遅刻の定義」
筆者の“遅刻”の定義について書き記しておこう。
まず筆者にとって、ただ単に時間に遅れることは、“遅刻”の必要条件に過ぎない。
なぜならば、致し方ない理由がたくさん考えられるからである。
筆者にとっての“遅刻”とは
筆者に対して連絡が出来ないような事由が無く、連絡できる状況であり、連絡をするための時間が存在するにも関わらず、筆者に対する連絡を怠った上で、30分以上時間に遅れること。
なお、この連絡は該当時間を過ぎてからの連絡でも良い。
を指す。
連絡が出来ないような事由は様々存在する。
・寝坊
人間ならミスはある。筆者もセンター試験の日寝坊をしている。
・端末が使用不可
突然端末がブラックアウトすることはある。ハード的におかしくなることもあれば、ソフト的におかしくなることも経験がある。
・電波の届きづらい場所
筆者が田舎出身だったからか、電波の届きづらい場所はたくさんあったし、新幹線に乗っているとどうも電波が届きづらくなる区間がある。
・端末の使用が禁じられている場所
筆者との待ち合わせの前に、映画を見ていたり、病院に行っていたり、講演を聴いていたり、試験を受けていたりした際、それが長引いてしまったりすることは往々にしてあるだろう。
上記のような連絡をできない状況ではないにも関わらず、連絡をよこさない奴がこの世にはいる。
筆者は、全く理解ができない。
また理解しようとする気持ちすら芽生えない。
当人が起きていて、スマホが生きてて、電波も十分に届き、スマホの使用が許される場所に居て、スマホを触っていて、どうして「遅刻します」という連絡ができないのか。
できない論理が全く分からない。
百歩譲って、遅刻していて非があるゆえに、連絡をしづらいという心理が働き、連絡をするのが億劫になってしまい、到着時刻を過ぎても連絡をすることができなかったというパターンは存在するかもしれない。
「お前それ、試験や就活でもやるんか?」
→「いいえ」ならば筆者が舐められているということだし、今後当人と待ち合わせる機会はないだろう。
→「はい」ならば、それは相当ずさんな人間なので、今後当人と待ち合わせる機会はないだろう。
仕事のようにお金をもらっていれば、まだ筆者が待つ理由が存在するかもしれないが、仕事でなければ、もう待ち合わせる価値すら見いだせない。
恐らく、そういう奴の前世は人間以外の何かで、人間1回目であるがゆえに、人間式の待ち合わせに慣れていないのであろう。
そう思うことにしている。