ねいぴあの世迷い言

つれづれなるまゝに、をりをり、ぱそこんにむかひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

のろけの心理

SNS上での「のろけ」を見ることがある。

これは、崩壊が始まっている証拠だ、という持論がある。

他人の評価がなければ、その穴埋めができない状態なのだ。(認知的不協和)

きっかけ

見ていて不快な恋人たちと、微笑ましい恋人たちがいる。

この違いはなんなのか、疑問に思った。

この疑問は本質的にSNS上でののろけと共通しているものだったので、なぜなのか考えた。

結論

人に自慢する形の、自分の評価を上げる目的の「のろけ」は崩壊の前触れ。

独りよがりな態度、恋人たちよがりな態度は不快に思う。

雑記

独りよがりなのろけ

独りよがりなのろけは、別に恋人の存在なんか関係がない。

ただの自分の価値を高める素材提供者だ。

自分の価値を高めるために相手を利用している。

恋人がいることに自己満足してしまっている。

ファッション

真に幸せで、それが表面に現れている形ののろけは不快に感じないのではないか。

不快に感じてしまうのは演出するのろけなのではないかと思う。

自然ににじみ出たものではないから、違和感があるのではないか。

それはファッションと一緒で、恋人がいることをステータスにして、それを服のように着飾っているだけではなかろうかと思う。

これを「ファッションのろけ」と呼ぼう。

こんなの見つけた

近しい考え方を端的に表している後々になって見つけたツイート。

愛は自己犠牲

私は愛というものは自己犠牲だと捉えている。

だからこそこのファッションのろけと愛は真逆だと考えている。

自己満足や自己完結するような、自分の価値を高めるだけのものは、不自然だ。

相手がいないのも同然なので、不自然に思うのだ。

信頼、尊敬のない、相手との関係、相手に対する関係性のないものが、自然でない状態。

自然でないから違和感を覚えて、それが直感的に不快に繋がっているのではないかと思う。

今回不快だと言っているのは、矛盾を感じているという言葉の方が正しいかもしれない。

相手がいるのに、相手は関係なしに自分の自慢、相手は自分の価値を高めるための道具、ネタ提供者でしかないという矛盾に、すっきりしないものがある、というのが適切かもしれない。

感想

まぁ、人それぞれですから自由にするのが一番よろしい。

今回の文書は他者批判というよりも、なかなか言葉に出来なかったあの不快感、もやもやしていてつかみ取れないあの不快感の謎を知りたかったのだ。

なぜイライラするのろけとそうじゃないのろけがあるのか。

もし問われたら、はっきり説明できなかったからだ。

そこにどういう構造があるのか、はたまた自分はどう考えているのか。

何を根拠にそう考えているのか。

どういうバイアスがあるのか。

それを知りたい思いから、自己分析してみたところ一つの結論が出たに過ぎない。

自分が実践するしない、そういう恋人たちがいるいない、不快に思う思わない、そんなことどうだっていい。

あの、もやもやしていて、説明できなかったことに、ちゃんと言葉をもって説明できたことに意味がある。