ねいぴあの世迷い言

つれづれなるまゝに、をりをり、ぱそこんにむかひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

現役、浪人を過ごした塾がなくなった。

高校3年生と浪人時に通っていた塾がなくなりました。

いつものようにお土産を持って先生を訪問しようと地元にある塾に参りました。

すると、机などが外に出してあり、先生と学生さんが荷物をまとめ、掃除をされているところでした。

あともう少し遅かったら、校舎の中にすら入ることができなかったでしょう。

運が良かったように思います。

もぬけの殻になった教室と受付。

とてつもない虚無感を覚えました。

場所への想い

実は地元に愛着がありません。

ただ、よく知ってる町という感覚で、実家がある以外に特別な感情がありません。

中学校高校で辛い経験をしたせいもあってか、人のつながりも稀有で、場所や人の思い出がほとんどありません。

辛かったという感情だけ残っていて、具体的に何があったかはっきり思い出せないのです。

小中高に行くと、何かが具体的に嫌というわけではなく、嫌な感覚だけが襲ってくるのであまり行きたくなくなってしまいます。

しかし、あの塾だけは今の私が生まれたところ特別なところだと考えています。

今日の私の多くの部分の形成に影響しています。

中学校や高校から追い出されるように卒業したので、私の唯一帰ることのできる精神的な故郷でありました。

過去と思い出

過去にとらわれることはよくないことだと考えています。

思い出にすがって生きることほどかっこ悪いことはありません。

私があの塾に帰省の度に訪問するのは“お墓参り”のようなもので、忘れてはいけないことを思い出す場所でした。

高校3年生の受験が終わるまでどうしても自分に喝が入らず、何となく人生を歩んできていた私が、初めて何かに本当に取り組んだ場所でした。

浪人の時を振り返り、当時のある種異常な勉強に対する真摯な想いを噛み締め、目の前の勉強に生かす、そんな場所でした。

塾離れ

小中高の人間関係をその度に捨て、前に進むことで歩んできた人生でした。

特に中高などは校舎も建て変わり、制服も変わり、名前も変わり、辛い思い出の詰まった出身校は原型を留めていません。

なので出身校に行くと、知らない別の学校なのに嫌な感覚だけがする不思議なところです。

ついにあの塾とお別れする時が来ました。

親離れや子離れと似ているのかもしれません。

大切な場所と別れる思いとはこういうものなのかと思い知りました。

だから、卒業式で涙を流す人がいるのかと。

やっと分かりました。

私はようやくあの塾を卒業し、新しい場所へ歩んでいけるのかもしれません。

居場所

あの塾は初めて「ここにいてもいいんだ」と思える場所でした。

個別だったので、友達などがいたわけではありませんが、自分と勉強と先生だけがそこにあって、自分と勉強が対峙する、ホームグラウンドでした。

いつも変わらぬ風景と、日々練習と訓練を行う場所。

私にとっては大切な場所でした。

しかし、もうあの場所はありません。

私の心のなかに生きるだけの存在になってしまいました。

運命

中高、浪人といた場所がなくなる。

そういう星に生まれたのかもしれません。

居場所を常に変えなければならない、そういう宿命なのでしょう。

受け入れるまでに時間はかかると思いますが、過去に浸っていた甘えを正すいい機会だと思います。

精進します。

 

以上。