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ねいぴあの世迷い言

つれづれなるまゝに、をりをり、ぱそこんにむかひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

最近の小さな悟り集(2)

napier.hatenablog.jp

の続きを書いていきましょう。

  •  いわゆる“見せパン”や“見せブラ”といった現代ファッションの人は痴漢被害に遭っても「痴漢だ」と相手を訴えることへ整合性がとれないと考える。

 

  • 雨が蒸し暑く感じたら夏。寒く感じたら冬。

 

  • 苦しさや辛さを伴うからから楽しいのであって、楽しいのみの楽しさは“楽しさレベル”が低い。

受け取ってすぐ楽しさを得られるものの“楽しさレベル”なんて大したことない。

しかも与えられたものを食べるだけなら子供でもできる。

 

  • 友達の数は人によって適正量がある。自分の適正値と比べて多すぎても少なすぎてもダメ。

 

  • かわいい子は恒常的にモテるから、普通の人が考える“モテる状態”が“通常運行”(モテることなんて当たり前)だから自慢することはない。モテる自慢をするのは、モテる状態が普通(モテることは当たり前)でないブス。

 

  • 辛い時が一番のチャンス。

 

  • 「人を外見で判断しちゃいけない」という言葉は「人の性格や性質を見た目のみで決定して(または決めつけて)はならず、その人が属してるジャンル(男女、企業、職業、団体、宗教など)に対する偏見を持ってはいけない」という意味だと受け取っている。

「人は見た目じゃない」という言葉もほぼ同様。

 

  • 私が最も嫌いな人のタイプの一つに、しきりに「みんな」という単語を使って主語を大きくしようとする、個人が確立されていない日本人にありがちな、大きくない自分を大きく見せて圧力をかけてくる人があります。*1

「みんなやってるよ」「みんなに聞いたの?」 「みんなこう言ってるよ」

「みんなこうやってるよ」 「みんなはどう言ってるの?」

「みんなはどう思う?」 「みんなの考えは?」

「社会はそんなに甘くないよ」 「世間が許さないよ」

 

  • 人にはそれぞれ適量があって、それは必ずしも平均値と一致するわけではない。

 

  • 単独行動を常としている人は一人の状態が標準なので「ぼっち」に類似する言葉は使用しない。他人といる時間が多く、その状態をよくわかっている人がそういった類いの言葉を使う。

 

  • 話し手と聞き手は同レベルでなければ、話が伝わらない。

 

  • 最大の親孝行は親より先に死なないこと。他に出来ることは、健康でいること、勉学に励むこと、自立した一人の人間に成長することぐらいしかない。 あとはほんの気持ち。

 

  • 永遠には限りがある。

 

  • 強い言葉を使う人は弱い人である。

 私も弱い人間の一人である。

 

  • 「低音が~」とか「イヤホンが~」とかいう意見をよく聞くが、まず鍛えるべきは自分の耳。

 

  • 「人間は顔(がすべて)ではない」ってのはブスの言い訳であって、すでにかっこいい人やかわいい人の多くはそういう言葉を使わない。ブスがそんな言葉を使うから、性格までゆがんでいく。

「人間は顔(がすべて)ではない」という言葉は、人間であるための必要条件が顔で、十分条件ではないということを示しているだけである。

顔がいいことはかなりの優位に立てるという現実を直視し、受け入れた上でブスはブスなりの人生を歩まなければならない。

「顔だけじゃないよ。内面も重要だよ」のようなブスが言い訳をするために作り出した論理に流されるようでは、顔が良い人の一人勝ち。

 

  • 社会では頭がいい人が偉いのでなく、お金稼ぎがうまい人が偉い。

 

  • どこからが自分でどこからが他人なのか。自分という存在は無であり、他人もまた無である。しかし、自我は存在するし他人もしかり。いったいどこに自分がいるというのか。その答えは意外と単純で、自分の心の奥底から渾々と湧き出す生のエネルギーの泉、そこから生まれる“流れ”こそが自分なのだ。

*1:これを「太宰メソッド」と呼ぶらしいです