ねいぴあの世迷い言

つれづれなるまゝに、をりをり、ぱそこんにむかひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

最近の小さな悟り集(1)

最近悟った他愛のないことをまとめていきたいと思います。

自己理解の助けになるかなと思っています。

自己満足です。

 

    • 楽器を大切に扱うことは音楽を大切にする第一歩。

 

    • 「考えすぎ」というセリフがよくあるが何と比べて考えすぎなのか。人にはその人に適した思考量がある。

 

    • 自分の今ある生を否定することは、自分の存在や思考や過去全てを今この瞬間にないがしろにするようなもので、死を選択した過去さえも否定される。

 

    • 辛いのは生きているからであって、死への選択権があることこそ生きているということ。生と死は等価値だが、死を自ら選択するのはあまり価値が見いだせない。それは生まれてないのと一緒だ。

 

    • 人間は本質的に負のエネルギーを根源に動いている。

 

    • 哲学は悲しみから始まる。

 

    • 「生きる価値」なんてものはそもそも存在しない。

仮に生きる価値が何か存在したとしよう。

我々はその価値に向かって生きるだけ。

それがこの世のそれと一致しているかどうかだが、一致していない。

(とても一つの価値観があるようには思えない。)

つまり「生きる価値」なんてものは固定の価値観では存在しなくて、timeが動いている以上、流動的に変化してゆくものであるし、また個人によっても全く異なるものである。

もし、それが捉えられたとしたら、我々は「生きる価値」を手に入れた瞬間生きる意味がなくなってしまう。

生きている間に「生きる価値」を手に入れたら死ぬことになる。

つまり、「生きる価値」を生きている間に手に入れることは不可能。

我々は自分の「生きる価値」を観測できない。

ゆえにない。

 

  • 人は一人では生きて行けないので、人との関わりを持つように本能へプログラムされている。孤独が寂しいという感情を作り出すことで、人と繋がろうと作用させる。

 

  • 人はよく怒っている状態を冷静ではないと称するが、それだけではなく、とても悲しんでいるときにも怒っている時くらいに冷静さを失っている

 

  • ありのままの自分を受け入れることは、頭の中のイメージや理想とは多くの部分で異なる現実を直視しなければならない作業であるから、とてもエネルギーが必要で、辛く苦しいことである

 

  • 何かを振ることが無茶振りなのではない。人の精神を逆撫でするのが煽りなのではない。そういう風に見せかけた“お芝居”なのだ。

ただ振るだけの“無茶振り”や、ただ人の精神を逆撫でする“煽り”はいじめと変わらない。

相手に何かを振っていくなら最後まで責任とらなければならない。

これが笑いの基本。

信頼関係がないと成り立たないし、信頼関係がなければそもそも無茶振りしたり煽ってはいけない。

お互いの共通認識を増やした上で、そういうことを言っても許される間柄を構築しなければならない。

そこまでいって初めて少しキツいことが言え、通常ではあり得ない会話が生まれ、加えてそれが周囲の人にウケて初めて笑いが完成する。

だからこそ、コントやだったり漫才だったりパロディだったりするわけで、日常生活の中でそれをやるときは気をつかわなければならない。

 

  • うどんはお湯に溶け出すか溶け出さないかの境目のあのふやけた部分が一番美味しい。

 

  • 過去は存在しない。未来も存在しない。今の自分が存在しているだけで、今の自分が思い起こすから過去は存在し、今の自分が想像するから未来は存在する。

 

  • 経験は最大の知識。

 

  • プリンセスプリキュアのパフとアロマの兄妹。鳥と犬がモチーフのロイヤルフェアリー。鳥と犬が兄妹とはかなり複雑な家庭事情がありそう。

 

  • 言うのは簡単やるのは難しい。

環境や人に文句を言うのは簡単。

自分の力不足を認めて動き出すのは難しい。

負けを受け入れた上でやる気を出して物事に取り組むなんてこと、たいていの人はやらない。

人がやらないから価値が生まれる。

しかし、自分の能力のなさやダメな部分を悲観しすぎて自虐的になりすぎたり、それを人にアピールするのは逆効果。

それは一種の簡単な逃げであって、自分の良くない状態をプラスに捉えるのはそこそこ練習が必要。

加えて、失敗を単に“失敗した”と素直にそれだけ捉えられるのも難しい。

たいていの場合気分が落ちるし、自動的に自分を責めている。

そこであえて“(単に)失敗した”と思うだけにして、目の前の結果だけ受け取れたり、それからのことを考えたり動き出せたりする奴が強い。

 

  • 職業別の男女の割合(%)を同じにすることを男女平等とは言わない。男女平等とは、どの人にも自由に職業選択の機会が与えられることである。

昨今、女性役員の割合や女性議員の割合が諸外国に比べ、特に欧米と比べて少ないことを議論している記事を見るが、例えば「自衛隊(他国なら軍)や建設業に女性が少なく、教育学習支援業に女性が多いから男女差別だ」という記事はあまり見ない。

男女の割合に差があることを指摘する前に、職業差別をやめるべきだと思うのは私だけではないはずだ。

そもそも割合に関しても自然状態ならそれで良いと思われる。

自由に職業が選べることが大切なのであって、特定の職種に{男性|女性}が{多い|少ない}からと言って、無理やりその職業に就かせることの方が問題であろうと思う。

是正すべきなのは、{男性|女性}という理由で入社を拒否したり、{男性|女性}専用トイレしかない職場など、男女平等の参画社会を妨げる原因となるもの。

 

  • おいしいものとおいしくないもの、好きなものと嫌いなものは必ずしも一致しません。おいしくて好きなもの(好きだからおいしいもの)とおいしくなくて嫌いなもの(嫌いだからおいしくないもの)が多くて騙されやすいかもしれませんが、あまりおいしいものではないけど好きなもの、おいしいけど嫌いになるものは存在します。