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ねいぴあの世迷い言

つれづれなるまゝに、をりをり、ぱそこんにむかひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

コミケの露出から考えたこと

ねいぴあ哲学

 

togetter.com

を読んで感じたことがいくつかあるので、言葉にしてまとめたいと思います。

 まず、まとめられているツイートからの引用ですが

「コスプレをしたわたし」を全面に出してくる 

自分自身の人気をあげるためにコスプレを利用してる 

キャラクターへの愛があるのかなって 

「アニメのキャラが好きで着てる」ってよりも「自分可愛いからこれ着たら似合うしコミケで晒してくるわ〜」っていう自意識過剰の集まり 

 

そもそも、“まとめのまとめ”は嫌いである。

私のこれが“まとめのまとめ”となる要素を含んでしまっていることに多少の嫌な感じを覚える。

以下ではいわゆる露出度の高いコスプレイヤーを養護したり批判するのではなく、ただ私が感じたことを書いているだけで、気持ちの上ではいい悪いの両方がある変な感触を言葉に書き表すことで、多少なりとも気持ちの整理できるのではないかと考えて、つらつらと駄文を重ねているだけである。

 

私は基本的にレッテルを貼りたくない。

レッテルはその集団の多くが持つ性格や性質を“ふわっと”とらえて言葉や概念を当てはめる人間の優れた性質であるが、悪い方向に働いてしまうこともあるからだ。

今回の場合だと、コスプレの露出度が高いからといって、それだけで何かを決めつけるのは避けたいと思ったからだ。

なぜ、この複雑な気持ちになるのか。

自分の感じたことを素直に表せば、いつもなら二元論的にどちらかに傾きそうであるもののこれはそうではなかった。

もう少し問題がこみ入ってるに違いない。

良いのか悪いのか、なぜこのような一言で表せない気持ちになっているのか、それを考えたい。

 

基本的な構造として「そうではない人(=過度な露出を用いたコスプレをしない人)」が、「そうである人(=過度な露出を用いたコスプレをする人)」に苦言を呈していると思われる。

私自身、そこまで頻繁にコスプレをする人ではないので、業界の事情やコミックマーケットなどのイベントの事情など細かく知らないものの、これに関して個人的に一番良くないと思っているのは、一般人と作品そのものへの影響である。

もし、アニメや漫画やゲームなどの文化に慣れていない人が露出度が高い姿を見たらどうなるか。

恐らく、そもそもはアニメや漫画やゲームなどの文化はまだ社会的に許容が十分にはなされていない。

加えてイベント等において、キャラクターなどの格好をしていることも十分に理解されているとは呼べないであろう。

露出度の高い低いに関わらず、苦情や避難の声がもしそれらの公式の製作元や、イベントに届いてしまったら……。

何かで一度火がついてしまうと、作品やイベントそのもの専守防衛で一気に規制が強まってしまうであろう。

今はまだ大きなニュースに上がってくるような問題にはなってないように感じる。

何かきっかけがあるとすぐにそうなってしまうような気がする。

そこで私は、半裸のほうが影響を与えるポテンシャルが高いと考えている。 *1

もちろん、やるのは個人の自由であるし、周りを過度に気にしていたらきりがない上に、面白みに欠けてしまう。

基本的にコスプレをする人の人数は少なく、社会的にはマイノリティなので不利である。

今後も継続的にイベントを続けるためには、関わりない人に悪影響を及ぼさないように、何らかの原因で問題を起こさないように、そしてそれらの可能性を減らさなければならない。

たくさん事例があって明確な定義はもちろんできないものの、いわゆる露出度の高いコスプレも、公式で禁止されているレベルの露出度の高いコスプレも、現状行っている人がいて、規制が強まらないことを鑑みると、まだ問題が生じていないので、ある意味でコスプレが許容されている範囲に含まれていると言えると考えて、許容に含めるものとする。

その許容の範囲のぎりぎりのところや、許容とアウトの境目の上や、許容の範囲を本当は出てしまっているものが、露出に関わる問題ではないのかと考える。

そういう意味で露出は、誤解を生む可能性が一気に高まってしまう原因を秘めていると考えている。

 

コスプレをすることは自由だと思っている。

例えそれが、たびたび悪く言われる、自己顕示欲を満たすためだろうが、自己愛に満ちてようが、自分の人気を高めるためだろうが、それ自体に問題はないと考えている。

そもそもコスプレというものが、否、コスプレでなくても、何かを表現する、つまり絵を書く、音楽を作る、何かを演じる、写真を撮るなどの行為に自己承認が含まれてないとは言えないと思われる。

何かを表現するというのは人間の根本的な欲であり、それに関していちいち自己承認欲求だの、自己顕示欲だの批判するのもナンセンスだと思っている。

そうやって批判し、自分の意見を表現することもそれに含まれてると思われるし、私の書いてるこれもそうである。

何度も何度も人を批判する人こそが、一番気にしてるのではないかと思われる。

 

ルールを順守して、例えば以上のような社会的なものも含めて、できるだけ気を使っている人にとっては、ルールを守らない人は目についてしまう。

批判するのも当然であろう。

作品への愛が云々が語られている意見もあるが、精神性で済まされるものでもないと考える。

例えば、愛に満ち溢れているから原作忠実にしたところ、結果的に露出度が高まることもあるかもしれない。

人それぞれ作品への愛は違う。

もちろん、原作や他のファンの人に最低限の気を使うこと、作品は自分だけのものではないということ、そもそも作品は自分のものではないということなど、いくぶんかの配慮が必要な部分はあると思われる。

前述したような原作にクレームが来るなどの可能性を熟慮せずに安易にコスプレを行うことを「作品への愛がない」と言われるのはごもっともであると考えている。

 

そもそも露出の定義が時代や国によっても違うことから、ルールを作るのも非常に難しいと思う。

Wikipedia露出狂のページの「似て非なるもの」にコスプレが追加される日が来るかもしれない。

ちなみにコスプレの注意事項には以下のようなルール、

露出に関する注意事項

○下着を着用していない衣装の禁止
  • ニプレスやシリコンブラは下着として見なします。
  • 水着の場合は、サポーターや下着を着用してください。
○下着が直接見える、または透けて見える衣装の禁止
  • 胸やワキの隙間から極端に下着が見える場合を含みます。
  • 見せるタイプのブラストラップは見えても問題ありません。
  • オーバーパンツやアンダースコートなど、重ね着をするパンツについては衣装とします。
○肌の露出が多い衣装の禁止
  • 胸は、肌の露出が1/3 程度で下着が見えないことが基準になります(女性のみ)

露出に関する自衛のお願い

撮影の際は、被写体に許可を得るのがルールですが、自衛のために「ストッキング」や「タイツ」などの着用をお勧めしています。
○丈の短いスカートなど、かがむと下着が見えそうな衣装
○ブルマ・レオタード・水着など、肌の露出が多い衣装
○色や布地の組み合わせでは透けて見える場合がある衣装

が挙げられている。

 

こういうことが野外でできるのは今のところイベントだけであろうし、その格好で街を歩くわけでもなく、犯罪行為を行うわけでもない。*2

現状にあって、警察やメディアのお世話になっていないということはある程度許容されている部分もあろうかと思う。

文化が成長しているというのはスポーツと同じで、ある意味平和を表しているのかもしれない。

 

何がいい、悪い、将来に向けてどうしたほうがいいのか、私にはまだわからない。

もちろん、今後明確にわかることがあるとも思っていない。

ほぼ下着や下着のような衣服は最近のファッションの一部でも見られる。

それはやっぱり、現代の色んなものがファッションとして認められる風潮があるからであると思う。

例えばボタンが一つだけ違う色をしていたり、真夏にニット帽をかぶっていてもおしゃれだと捉えられる時勢のことである。

これはとても幸せなことで、いろんなファッションが社会的にちょっとずつ許容されてきた部分があるのではないかと考えている。

とはいえ、ここではコスプレを取り上げたものの、コスプレに関わらず、露出のような性に触れる道徳に関わる部分の問題は慎重にいかなくてはいけないと思う。

ルールが厳しくなる前に、モラルとマナーでなんとかしたいものです。

 

*1:今更気がついたが、私自身の考え方が古く、すでに半裸が許容されているのかもしれない

*2:ここでは、露出度の高いコスプレが公然わいせつ罪にあたるかどうか考えることと、そして露出度の高いコスプレが犯罪行為を行っているとみなすことは避けた。