読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ねいぴあの世迷い言

つれづれなるまゝに、をりをり、ぱそこんにむかひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

【俗・】女子力に関する考察

ねいぴあ哲学

 前回の

女子力に関する考察 - ねいぴあのブログ

 

に引き続いて、女子力とは何なのか考察したい。

前回十二分に筆を走らせたので、今回は補足程度に。

抽象的な話が多く、前より女子力と離れることが多い印象がある。

 

全略!(まえがきは全部省略)

前回の文章を読み返して考えたことをまとめたいかと思う。

外的女子力と内的女子力

女子力とは継続力だと考えているが、当たり前だが二つの種類、外的女子力と内的女子力に分けて考えることができると思う。

ここでの外的女子力は、例えば人への気遣いであったり、他人との接し方、礼儀、態度のような自分より外のことに関する女子力である。

外に対して気を張っている状態、他人に目を光らせている度合いが外的女子力だと思う。
内的女子力とは、例えば一人の時にサボらない、メイクをちゃんと毎日するなどである。
自分に対する気の張り方、自分への目配りの度合いが内的女子力だと思われる。

前回の結論をこれらで言い換えると、この両者が存在したとき、私は内的女子力を鍛えることがより大切なのではないかと述べているのである。

外的女子力

小テクは外的女子力に多い印象を受ける。

ネットの記事によく書いてある場面場面における女子力はこちらが多いと思う。

自分より少し離れた場所にあることなので目につきやすいし、小テクなのですぐ実践できる。

もてはやされる女子力の多くは外的女子力だと思われる。

なぜか。

外的女子力の方が内的女子力よりも容易に高めやすく人の目につきやすいからだ。

だからこそ他人へのアピールに有用であるかと思う。

女子力という言葉が便利にたくさん使われるのもわかるような気がする。

似非外的女子力はファッション女子力

いわゆる“にわか”のことである。

自分の価値が低い人が、自分へ付加価値をつけるために、とってつけたような小テクを自分の能力として振る舞う。

これを私はファッション女子力と呼びたい。

中身の無い人が見栄を張って高い服だけ着飾っても様にならない様子と重ね合わせてファッションという言葉を使ってみた。

似非外的女子力にはその場しのぎにしかならない付け焼き刃が多いと思う。

それもそれで目につきやすいし、有用であるのだが、私はそれでは満足しない。

他人のハリボテを見たときに残念な気持ちにしかならない。

お飾りはお飾りに過ぎない。

有り体、仕草、オーラは自分自身そのものに依存している。

いくら着飾っても本質の部分は隠し切れないものだと思っている。

内的女子力

一方内的女子力を高めるのは難しい。

自分のことだからだ。

当たり前だが自分は自分で動かせる。

自分の裁量一つなのだ。

すぐサボれるし、逆にすぐにでも意識を変えることが出来る。

毎日することを何か決めるも、続けるかどうかは自分の意思次第だ。

ここに女子力が垣間見えると考えている。

すべてを完璧にするのは難しいかと思う。

いきなりいろいろなことを気にし始めるのも難しいかと思う。

小さなことでいい、何か一つ、意味の無いようなことでもいい、そんな小さな工夫からだと思う。

意識はいきなり高くならない。

意識はいきなり高い状態になるわけではないのだ。

勉強へのやる気と一緒で、やる気を出して勉強をするのではない。

嫌々ながらもちょっと手をつけてみると以外と楽しかったり、やるべきことが見えたり、見える世界が広がったりしてだんだんやる気が出るのだ。

やる気が出たからやる、ではなく、ちょっとやることでやる気が湧いてくるのだ。

小さな工夫はなんだっていい。

当たり前だが、女子力は高めるから高まるのだ。

放置して高まるものではない。

意識して高めるものなのだ。

どうすれば意識が高まるか。

意識を高めようと思って意識はなかなか高くならない。

何か行動が先なのだ。

ちょっと行動を起こすことでだんだん高まるものなのだ。

工夫はなんだっていいかと思う。

自分で継続できるものであれば何でもいい。

「毎日化粧」ならまず、それだけ、それのみで十分かと思う。

自分の話

私のやっていることの一つを例にとると、化粧には遠く及ばないが「毎日ワックス」である。

それはおしゃれを目指しているのではなく、継続力を高めるための意識付けとして行っている。

別にやってもやらなくても変わりのないことだし、この大学では気がつく人も少ない。

私のやり方がまだまだイマイチな部分もあるが、おしゃれに気遣っている人に「おしゃれだね」「髪頑張ってるね」「想像してたよりうまくできてるよ」と言われる髪でも、「今日は寝癖がひどいね」「髪濡れてるよ」と言われたり(苦笑)

それでも継続することが大切かと思っているので今でもやっている。

確かに色んな種類のワックスを試すことで見える世界があるし、街行く人を見て「うまいな」とか「何のワックスかな」とか「これに近いスタイリングは見たことあるぞ」とか、なんとなく分かってきたこともある。

それで自分に活かされることもあるし、得たものも多い。

これは直接的な例でないので、一般的な女子力とは違うと思うが、私は広義に女子力に含まれるかと思ったりする。

これ一つを気にすることで最初は精一杯だったが、だんだん余裕が出てきた。

ファッションはどうだろうとか、人の髪型を見たときの表現が増えていたりとか、アクセサリーはどうだろう、と気にするようになった。

これはちょっと趣味が入るかもしれないが、男の子だけでなく、女の子の服や化粧や着まわしやアイテムやスマホケースなどにちょっと意識が向かうようになった。

とても良いきっかけになったと思う。

真に鍛えるならどっちだっていい。

もちろん外的女子力を否定しているわけではない。

外的女子力における何かの工夫を継続することは女子力が高まるきっかけに十分なりうる。

人に合わせて臨機応変に対応を考えるよりも、自分を動かす方が簡単だと考えたから、内的女子力を高めることが重要だと述べたのである。

内的女子力を高めるのが難しいというのは、自分の意識を保つことが難しいのであって、始めるのが難しいというわけではない。

そういう点において、外よりも内のほうが、始めやすいかと思って推奨、くらいの気持ちである。

どちらかに工夫を作る

人によって「外向」の時間と「内向」の時間の割合は違う。

「外向」と「内向」の分かりやすい例は授業中にノートをとっていて、先生の話を聞きながらノートを書いている時が「外向」、自分で概念や解き方やイメージを考えていていつのまにか板書がちょっと進んでいた時が「内向」だと思う。

だから、多い時間の方で何か一つ工夫を持つのが、よりその工夫に触れる機会が増えて良いのではないかと思う。

相互の影響

どちらかに工夫を作ればそれはもう一つのほうに影響を与えるかと思う。

例えば内で工夫を作ったときに内だけの世界が広がるのではなく、外の世界で見えることも広がる。

感情のコントロール

とはいっても自分できっかけを作ることは難しい。

三日坊主という言葉はほんとに良くできている。

何か外的要因がきっかけに“なる”ことは多くあるかと思う。

きっかけを自分の気持ちの中に“作る”ことはとてもとても難しい。

すぐ消えてしまうからだ。

人は感情を忘れることで生きて行ける。

放っておけば時間と共に情熱は薄れる。

感情をいかに保つか、という部分が難しいと考えて、2013年の夏に書いた前回の「女子力に関する考察」では「女子力は心のコントロール力」と締め括ったのかと思う。

絶望

工夫を作ろうと現状を鑑みた時に絶望するかもしれない。

自分の今の状態に納得がいかず、諦めの気持ちすら感じたくなるような状況かもしれない。

しかしそれは当たり前のことで、原因のない結果はない。

女子力を高める原因を作っていないならば、女子力が高くない現状があるだけの話で、そこに絶望するだけなら誰でもできる。

だからこそ、今、この瞬間から工夫が必要なのだ。

もともと女子力が高いやつに勝とうと思うから、自分の高すぎる理想状態との比較をするからしんどいのだ。

競争しているならば、いきなり高いやつに勝つ必要はない。

なぜか。

勝てないからだ。

努力を重ねたものに対して、いきなり勝てるわけがない。

今まで工夫を作ったことのないやつが最初からうまくいくはずがない。

新しいことをスタートさせるのにエネルギーが必要ないわけがない。

みんなができることではあるが、難しいことであるのでなかなかチャレンジしないのだ。

だからこそ価値が生まれるし、女子力を高められた人が珍重されるのだ。

言い訳

やはり人間の心は弱い。

しかし、言い訳したいということはある意味正解で、そのくらいにしんどいことで、逃げたいことだということは確実にわかる。

だからこそ、やると違うのだ。

逆にそう感じるからこそやる価値がある。

誰でもできることならもてはやされることはない。

「僕は…それでも僕は!(女子)力だけが僕の全てじゃない!!」 

「いくら(自分の女子力が低いと)叫ぼうが今更!

これが(女子力が低い人の)定めさ!

(自分はもはやおっさんだと)知りながらも突き進んだ道だろう!

正義と信じ、(女子力は何か)解らぬと逃げ、知らず、聞かず!

その果ての終局だ!

もはや(女子力低下を)止める術などない!

そして、(女子力どころか人間として)滅ぶ、(女子力が低い)人は、滅ぶべくしてな!」

「そんな、あなたの理屈!」

「それが人だよ!キラ君!」

「違う!!人は…人はそんなものじゃない!」

「まだ苦しみたいか!いつか!やがていつかはと!
そんな(雑誌の)甘い毒に踊らされ一体どれほどの時を戦い続けてきた!?」

まとめ

  • なにか一つ工夫を持つ。(内的女子力のほうがおススメかも)
  • それが将来の女子力を上げる布石になる。
  • 今を見ると絶望してやる気もなくなるから、今を認め、逃げずに取り組みたいところ。
  • 「言い訳するのは簡単、やるのは難しい」

感想

今回もだらだらした文章になってしまった。

ただ、女子力は本質的に、そういう自分の中での意識の切り替えにどれだけ力を入れられるのかにかかっているということが改めて認識できた。

もはや女子力というより…とも思ったが、これが女子力の正体なのかもしれない。

逃げ言葉として女子力は優秀すぎる。

新しい単語を作って、免罪符のようにその言葉を多用しているようではいけないなと感じた。

自戒。